Sanatorium

療養所。或いは備忘録として。

引用文が好きだ

 "現実を、現実でもって修正せよ。"ロベール・ブレッソン

 

"自分たちは正気を失わずに生活をしていかなければなりません。「風が吹き始めた時代」の風とはさわやかな風ではありません。おそろしく轟々と吹きぬける風です。死をはらみ、毒を含む風です。人生を根こそぎにしようという風です。" 宮崎 駿

  

"問題を背負ったら、背負い続けるしかないんです。息抜きを意図的にやることによって、僕は蘇生することはないですね。その問題と鼻突き合わせて、寝ててもその夢を見てる。寝床で起きた瞬間に、もうそのことを考えてる。そういう状態にならないと、答えは見つかってこないんですよ。"宮崎駿

 

"それは一時の気の迷い、あきらめなされというけれど、迷いがほんとかほんとが迷いか、迷いこそほんとうであろうとおもう。"中原中也

 

"いや、ちがう、生きることは痛ましいとか、生きることを考えるのは痛ましいとかというのは本当ではない。本当のところは、我々の痛みは、我々がそんなふりをするときしか、重大で深刻にならないということだ。もしも我々が自然なら、苦痛はきたように去り、大きくなったように小さくなるだろう。"フェルナンド・ペソア

 

"真に苦しんでいるものたちは、俗悪な群れに集ったりしないし、集団を形成することもない。苦しむとき、ひとは独りで苦しむのだ。"フェルナンド・ペソア

 

勇気がでませんか。

我々のような人間は問題を背負ったら、背負い続けるしかないのです。

不自然なもの

2019年末に投資を始めた。自分にとって不自然なことをやるべきときだった。数年前に始めた「釣り」という行為もインドアを常とする自分にとってはひどく不自然なものだった。何度断っても誘ってくれたひとがいて、面倒だが一度くらいは付き合おうなどと思いながらやってみたら、死ぬほどに面白かったのである。これは恐ろしい話だ。これまで何年も生きてきたのに。「釣り」をやらずに何をしていたのだろう。「釣り」を知らずに過ごしてきた途方もない時間のことを考えるとみぞおちの辺りが重くなった。自分が「釣り」と出会うのはこのタイミングしかなかったのだと信じるしかない。))))

 

自戒を込めて、これは何に対しても云えることだ。あなたとそれが出会ったタイミングが、あなたとそれが出会う最短距離であったのだ。何をしていたってもっと早く出会っていれば、と考えてしまうこと多々ある。しかしそんな時間軸などどこにも存在しない。

 

そして、こんな話は釣りに限った話ではない。自分が選ばなかった何かが、自分にとってかけがえのない大切なものであったとしたら。それは恐るべき事態だ。

 

 投資の話に戻る。2019年末に投資を始めた。正確には始める準備を始めた。証券口座を開設するにはマイナンバーカードが必要だ、ということすら知らなかった。まずは投資全般にまつわる情報の収集。自分に相応しい投資対象の選定、また証券会社の選定等々。その後、新型コロナの拡大、それにまつわる全国民へ向けた定額給付などの施策によってマイナンバーカードの需要は爆発的に伸びて市役所は大混雑であったし、あらゆる相場は暴落し、仕込み時であるということからスピードが売りのネット証券会社の口座開設にも申込みが殺到しパンク状態が暫く続いたとのことだ。偶然にもそのような喧噪に巻き込まれることなく環境を整えることが出来たのはささやかだが運が良かったのかもしれない。

 

 お金についてなんて考えてこなかった。働いてさえいればそれなりの給料は入るのだし、もっと欲しいなと思ってみたところで自分が社会へ差し出せる能力や生産性はたかがしれている。どちらかというと競争(狂騒)から離れて、静かな山か何かでひっそりと暮らしていたいと思うタイプである。今でも大して変わりはないし、よくよく考えれば山でひっそりと暮らすのにも金は要るのだろうけど。「投資」なるものは自分とは関係のないもの。お金持ちのやることであって、けして大げさでなく、自分にとっては不自然なものであった。

今だから云えることがある。自分のように競争(狂騒)から離れたいと思うタイプ。つまり誰とも比べることなく、比べられることもなく、何事にも縛られず、自分に規律をおいて生きていきたいと思う者にこそ「金が要る」のである。不自然な力が必要だ。知らないものは異物かもしれないし、嫌いなものかもしれない。しかし、謙虚になって一旦受け入れてみることだ。何かを演じてみるつもりで。どうしても合わないというのなら吐き出せばよい。

それがもしも、自分の力になればどうだろうか。

 

きょうまでのできごと VJ篇

2012.12.02 @selecta "RELiGiOUS vol.2"

2013.03.09 @selecta "RELiGiOUS vol.3"

2013.05.25 @selecta “RELiGiOUS vol.4”

2013.08.10 @selecta "カトケンの甘酸っぱくて死ぬ夜"

2013.09.15 @selecta “RELiGiOUS vol.5”

2013.11.02 @selecta “RELiGiOUS vol.6”

2013.11.30 @t-generation "申し訳ないとFINAL TOUR"

2013.12.07 @selecta “RELiGiOUS vol.7”

2014.02.01 @selecta “RELiGiOUS vol.8”

2014.05.17 @selecta "RELiGiOUS vs チョビのJ-POP祭"

2014.05.24 @insa "[in your room]#01"

2014.06.22 @kiethflack “"SPA WARS"EXTRA RELEASE TOUR”

2014.06.27 @selecta "Wrinkle"

2014.06.29 @コロナシネマワールド "Secret LIVE vol.1"

2014.04.19 @selecta “RELiGiOUS vol.9”

2014.09.13 @selecta “RELiGiOUS -THE LAST PARTY”

2014.09.14 @selecta “RELiGiOUS -THE LAST PARTY”

2014.10.03 @selecta "Wrinkle"

2014.10.19 @blackout "クラブニルギリスvsストリーミングガール" 2014.12.31 @博多ベイサイドプレイス "Next Pop Festival

2014.03.14 @selecta "SPEC×liberta 卒業パーティー"

2015.04.18 @hive "FreQ vol.27 4th anniversary"

2015.05.30 @selecta "「アニ*ゆん」RELEASE PARTY"

2015.06.01 @selecta "TICK"

2015.06.06 @hive "HIVE 1st anniversary feat FreQ"

 

せっかくなのでこれも移行した。日付とイベント名さえあれば思い出せるつもりでいたので出演者の記載は省かれている。すぐに思い出せる方だけでも電撃ネットワークのナンブ氏、元電気グルーヴの砂原氏、掟ポルシェ氏、藤井隆氏、Ken Arai氏、MCAT氏、livetuneのKz氏など、地方のパーティとはいえ恐れ多い面々の背景に自分が携わらせていただいた。思い出すと震える。2015年以降は記録することを止めてしまったのだがそれ以降も光栄なことにたくさんオファーを頂戴していて、今でもVJは続けている。

猟銃について

射撃や狩猟をそれぞれの理由や動機で始めたいと願っている僕や貴方はその必要性に於いて猟銃又は空気銃を手に入れたい。日本には銃砲刀剣類所持取締法という銃砲や刀剣類の取締まりを目的とした法律があり、僕たち国民は法令に基づき職務の為に所持する場合を除き、原則として銃砲や刀剣類の所持は禁じられている。 原則禁じられてはいるものの、その必要性に於いて猟銃又は空気銃の「所持許可」は受けることができるようだ。「免許」は存在しない。 所持許可を受けるにあたり、ある一定の基準を満たしておかねばならない。 例えばその一定の基準であるとか、所持許可申請のために必要な書類及び手順であるとか、警察署での面談であるとか、身辺調査であるとか、諸費用であるとか、そのようなロードマップについては[猟銃 所持 手順]とかそれらしいワードで検索すれば親愛なる先達たちが素晴らしい記事をたくさん遺してくれている。僕もそれらの幾つかを参考にした。提出書類の収集、記入、提出、面談、身辺調査は確かに少なくない時間と手間と費用と労力が掛かるものではあるが、ここに於ける僕や貴方の熱意はそれらを軽々と乗り越えるもので、本来であれば煩雑と感じるあれこれも難攻略なゲームであると捉え嬉々としてその足取りは重くはないはずだ。頑張ろう。

 

四年前。平成末期に書いたもの。ここから周囲の理解者の力添えなど頂戴して所持許可を得ることができ、今日に至る。しかし修練の頻度は月イチ程度であり腕前はずっと初心者である。弾の譲受許可の手続きや射撃場までの移動等々、すべてがそこそこに面倒なのだがそれは言い訳としては使えない。承知して始めているのだから。ここ一年の言い訳は「コロナ」である。

よくある話。

よくある話で、残念ながら、これまでと同じように、大したテーマは決まっていない。携帯のメモやEvernoteを活用してみようと試みた過去と同じ。誰の目にも触れることのない前提で書かれたそれらは、どうも自分自身の目にも触れることがないかのように書かれていて、意味不明の散文になっているものが多い。令和も三年目にしてブログというのは如何なものか。良くも悪くもない。多少は便利なのではなかろうか。スマホのメモより少しオープンな空間に、それらをひとつに統合、またはブラッシュアップして、ここにまとめてみたい。

すぐに飽きてしまうかもしれないけど。