Sanatorium

療養所。或いは備忘録として。

不自然なもの

2019年末に投資を始めた。自分にとって不自然なことをやるべきときだった。数年前に始めた「釣り」という行為もインドアを常とする自分にとってはひどく不自然なものだった。何度断っても誘ってくれたひとがいて、面倒だが一度くらいは付き合おうなどと思いながらやってみたら、死ぬほどに面白かったのである。これは恐ろしい話だ。これまで何年も生きてきたのに。「釣り」をやらずに何をしていたのだろう。「釣り」を知らずに過ごしてきた途方もない時間のことを考えるとみぞおちの辺りが重くなった。自分が「釣り」と出会うのはこのタイミングしかなかったのだと信じるしかない。))))

 

自戒を込めて、これは何に対しても云えることだ。あなたとそれが出会ったタイミングが、あなたとそれが出会う最短距離であったのだ。何をしていたってもっと早く出会っていれば、と考えてしまうこと多々ある。しかしそんな時間軸などどこにも存在しない。

 

そして、こんな話は釣りに限った話ではない。自分が選ばなかった何かが、自分にとってかけがえのない大切なものであったとしたら。それは恐るべき事態だ。

 

 投資の話に戻る。2019年末に投資を始めた。正確には始める準備を始めた。証券口座を開設するにはマイナンバーカードが必要だ、ということすら知らなかった。まずは投資全般にまつわる情報の収集。自分に相応しい投資対象の選定、また証券会社の選定等々。その後、新型コロナの拡大、それにまつわる全国民へ向けた定額給付などの施策によってマイナンバーカードの需要は爆発的に伸びて市役所は大混雑であったし、あらゆる相場は暴落し、仕込み時であるということからスピードが売りのネット証券会社の口座開設にも申込みが殺到しパンク状態が暫く続いたとのことだ。偶然にもそのような喧噪に巻き込まれることなく環境を整えることが出来たのはささやかだが運が良かったのかもしれない。

 

 お金についてなんて考えてこなかった。働いてさえいればそれなりの給料は入るのだし、もっと欲しいなと思ってみたところで自分が社会へ差し出せる能力や生産性はたかがしれている。どちらかというと競争(狂騒)から離れて、静かな山か何かでひっそりと暮らしていたいと思うタイプである。今でも大して変わりはないし、よくよく考えれば山でひっそりと暮らすのにも金は要るのだろうけど。「投資」なるものは自分とは関係のないもの。お金持ちのやることであって、けして大げさでなく、自分にとっては不自然なものであった。

今だから云えることがある。自分のように競争(狂騒)から離れたいと思うタイプ。つまり誰とも比べることなく、比べられることもなく、何事にも縛られず、自分に規律をおいて生きていきたいと思う者にこそ「金が要る」のである。不自然な力が必要だ。知らないものは異物かもしれないし、嫌いなものかもしれない。しかし、謙虚になって一旦受け入れてみることだ。何かを演じてみるつもりで。どうしても合わないというのなら吐き出せばよい。

それがもしも、自分の力になればどうだろうか。